横浜市こども青少年局の委託モデル事業であることが特徴。ミニヨコハマシティ研究会は横浜市職員有志と市民グループ、こども環境学会研究者、大学生等から構成されている。十九歳以下のまち(選挙権のない人のつくるまち)。市長候補を応募段階から募集、次回へとつなげられるマニュフェストを重視、と言う特徴がある。
ミニヨコハマシティの準備期間を「告示期間」としたマニフェストを重視した市長選挙が、とにかく横浜の目玉と言えるだろう。開催1日目に市長演説をし、翌2日目に投開票、当選した市長が所信表明演説会を行う手順を踏んでいる。また閉幕後も、市長、副市長を始めとする中心的役割を担った子どもたちが、市内外で「こどものまち」の素晴らしさ楽しさを伝えるスポークスマンとして活躍。
当日は、子どもたち自身が出店を希望し具現化した仕事ブースが住宅展示場を生かした町並みに配置された。「すいとん」「チャーハン」「ソースせんべい」等の飲食関係、「ハンコ」「シール」「ウッドプレート」を揃えるものづくり工房、「迷路」「滑り台」「ダンボールハウス」等のみんなのあそび場、「ヘアメイク&フェイスペイント」「トランプ占い」そして「お茶が飲める古本屋」といったお楽しみ関係などのテーマ別ゾーンがつくられる中、最重要の「選挙管理委員会」は、「新聞社」と「みんなの掲示板」とともに軒を並べて情報の交換がよりスムーズに行くように心掛けた。また「ミニヨコ通り」は目抜き通りとして「受付&市役所」「銀行」「ハローワーク」「警察」「コンビニ」「リサイクルタウン」他多くのブースが並び、それらをミニヨコ交通機関であるリヤカーバスが繋ぐ。
事前の準備期間の動きは次の通り。まず二〇〇七年一月から運営市民の募集を開始し、応募が来次第一人づつヒアリングを行った。ミニヨコハマシティを作ってくれたのは五八人。このうち、大学生二名、高校生二名、中学生一五名、小学生三九名で構成されていた(ミニヨコハマシティは一九歳までが市民)。三月四日のこどもまち会議までにすべてのこどもにヒアリングを済ませ、当日は丸一日のWSをしてまちの機能を「お店」「公共」「サービス」にグループに分けて話し合った。お金の流れ、受付やハローワークの流れなど共通で決めることは子どもたち全員で意見交換した(知らない間にそれぞれのパートの子どもが司会進行していたが一部に疎外感を持つ子がいたので大人がフォローに務めた)。その後の二週間で準備、一部の子はお店に修行に行き、三月一七日にまちがオープンした。
工夫として重要な点は、最初の一人づつのヒアリングで、こちらで用意できそうなこと、建物や予算などの関係で事実上できることとできないことを提示し、WSの日までに組み立ててもらったり、同じようなことをしたいと思っている人同士の意見をそれぞれに伝えることだった。